ヒトミ☆クバーナのケセラセラ♪

 関西在住webライター(メキシコ帰り)の日々。

日本が嫌で海外に飛び出した私が、2年で帰ってきた理由【前編】

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いつから「出たい」と思ったのか。
いつから息苦しく思ったのか。

きっかけは何度かあった気がする。

 井の中の蛙、大海を知らず

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いのなかのカワズ。井戸の中の蛙は外の広い世界を知らない、ということ。

10歳で演劇にハマり、そこからずっと「役者になる」と思って生きていた。

関西の劇団に出たり、東京のワークショップに出かけたり、エキストラに応募したり。

大阪で、東京公演をしているというだけで威張って、役者を怒鳴りつける演出家を見た。

何かの賞をとった人のまわりに集まって、気に入ってもらおう、認めてもらおうと、信者のようにあがめたてまつる人たちがいた。

「なんだそれ、つまんないの。」そう思いながらも、井戸の中から出る方法を知らず、そっぽを向いたかえるのわたし。

外のかわずと出会う

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大学卒業後、劇団に入った。台本はなく、即興で「自分が面白いと思ったひと」の真似をして、ほかの「面白いひと」と出会って、生まれる瞬間をドラマにしていく。

そこで、ふだん会社で働いているサラリーマンの人と即興芝居をした。そのひと、むちゃくちゃ面白かった。

「生活の中で、言いたくても言えないことがたくさんある。例えば、同じ会社の奴に彼女を寝取られても、次の日、普通の顔で仕事しなければならない。
そういう押し殺した気持ちが溜まっていって、それがあふれて創作につながる」

そのとき気づいた。私には、圧倒的に見えている世界が少なかった。

嫌なこと、面倒なことにそっぽしか向いてこなかった私は、そのとき初めて「社会人になりたい」と思った。

かわず、井戸から出ない

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結局、井戸の中から出られなくて、役者はやめた。フランスの演劇学校に行きたくて貯金していたけれど。

「フランスが私を変えてくれる」と思っていた自分に気づいて、やめた。

臆病で、井戸から飛び出してみる勇気もなく。

しばらく「生きがい」をなくして呆然としていたけれど、やっぱり外を覗いてみたくて、貯金を使っていろんな場所をリュックで回った。

海外は逃避に最適だ。日本でただ働いていても、全然楽しくなかったから。

「お金を貯めたら、この仕事やめてしばらく旅行するんだ」それだけをモチベーションに毎朝のろのろと起きる。

今は、あのひとが言っていた「自分の中に感情が溜まる」気持ち、よくわかる。吐き出せない言葉は、ただただ溜まっていく一方だったけれど。

あのとき、かわずの井戸も揺れた

息苦しいけど、この中で生きていくしかない。そう自分に言い聞かせていたある日、井戸が揺れた。大きく、大きく揺れた。

テレビをつけたら、遠くの平和な井戸は決壊し、すべては波に流されていた。

そして爆発が起こった。

何が起こったか知るために、初めてTwitterというものを始める。

情報の、洪水。

どんどん怖くなる。Twitterに流れてくる人々の不安と、呻きと、外の世界とのギャップに。

私はそのときたまたま、関西の電力会社で事務のバイトをしていた。

大阪では、表向きはみんなひとごとだ。昼休みにお弁当を食べながら、テレビを見て「怖いね~」と、言う。コンビニの募金箱だけはいっぱいだった。

関西の電力会社は、まったくなにごとも無かったように、しゅくしゅくとみんな働いていた。本当に、なんにも起こらなかったかのように。

私だけ、おかしいのかな。私が気にしすぎなのかな。離れてるから、何も気にしなくていいのかな。

家でTwitterを見るたびに押し寄せてくるつらい気持ち。

それなりにぬるま湯で快適だった井戸は、いまやぐらぐらと沸き立ちはじめ、頭の上には大きな石がのしかかってくるよう。

限界だった。

私は、逃げた。

空港に降りたときの開放感を今も忘れない

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2011年、4月。貯金のほとんどなかった私は、カードのリボ払いでチケットを買って、2度目のキューバへ飛んだ。

日本の中にいると、情報に引き裂かれておかしくなってしまう。井戸の中で反響して聞こえる、大きな声が届かないところへ行きたかった。

乗り換えのトロントの空港に降り立ったときの、肩からすぅっとおもしが抜けていった感じ、今もよく覚えている。

「日本」という重力から一気に解き放たれて、ほんとうに嬉しかった。

その質問の答えは、今もわからない

キューバではみんな歓迎してくれた。

ニュースで大々的に津波の映像が流れたらしく、日本はぜんぶ津波に飲み込まれたのでは、と心配してくれたらしい。

いつまでもキューバにいていい、と言ってくれた。心の避難所が出来た感じ。

それから貯金が底をつく限界まで、4か月間、キューバに滞在した。

「日本はお金持ちの国なのに、どうして政府は国民を海外に避難させないの?」と、聞かれた。

もっと逃げる準備にはげむ

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もう、日本で働くのは嫌だった。タイムカードが嫌だった。首から社員証をぶらさげてコンビニに行くのが嫌だった。原発のニュースが流れる休憩室で、どうでもいい噂話を聞くのが嫌だった。

何か発言したら叩かれ、敵と味方に分かれる国が、嫌だった。

すぐに日本語教師になるための学校に申し込み、スペイン語の勉強をはじめた。

ネットで仕事を探し、最初に受かったメキシコの学校に決めた。どこでもよかった。当時の恋人にもさよならを告げた。

私がいるのは、ここじゃない。少なくとも、今は。

ぜんぶ、この瞬間のために我慢していた。私のモチベーションは、国外逃亡だった。

後半へ続く

メキシコには2年半住み、夫と出会い、日本に帰ることになる。

「日本に住みたい」と言ったのは夫だ。それを受け入れられたのは、メキシコでの生活があったから。

それを次回書きます。